思い出のカメラたち

はじめてのカメラ:MAMIYA35ルビー
昭和41年春 父親のカメラで、昭和35年頃、岡山県津山市のカメラ屋で買ったもの。
1959年9月 (昭和34年)発売の35mmのレンズシャッターカメラで、レンズはセコール48mmF2.8が付いていた。 当時の価格は18,500円。
なお、カメラの資料についてはマミヤ・オーピー営業企画部 佐藤 健氏のご協力をいただきました。
高校の写真部時代に使っていたが、これでポートレートからスナップなんでも撮った。
昭和42年頃、セレンの内蔵露出計が壊れたが「修理不能だ」とカメラ屋に言われた。
最初のうちは写真屋でフィルム現像だけやってもらい、プリントだけ写真部の暗室でやっていた。修学旅行にも持っていった。
同級生が一眼レフを持っていたりすると羨ましかったが、「腕では絶対負けない」と強がっていた。「このカメラが一眼レフだったら」と何度思ったことか。
ペトリV6が3万円弱だったりした時代である。
のちに昭和52年頃、バイクのサイドバックに入れっぱなししていたら、ネジが緩んでバラバラになってしまい捨ててしまった。

SR-1s はじめての一眼レフ
使い込んだ:
minoltaSR-1s

昭和45年6月代々木にて rokkor28mmF3.5
昭和45年の銀座 rokkor100mmF3.5
昭和43年春、父が勤め先の共済会で、買ってくれたもの。
レンズは55mmF1.7と100mmF3.5が付いていた。
クリップオンの専用露出計は、MAMIYA35ルビーが壊れた時に買ってもらっていたが、NEW SR-1用だったので、シャッター速度が1/500までしかなく1/1000秒を使用する時には、外さなくてならないが、実用上は問題は無かった。
その夜はとても嬉しくて抱いて寝た。
写大1年の夏、落としてペンタプリズム部分がへこんでしまったが、新宿のサービスセンターでピントの調整だけはしてもらった。
昭和44年秋、新宿のヨドバシカメラで28mmF3.5を買い込んだ。レンズは銅鏡がシルバーに近くなるまで使い込んでいる。
結局ボディーは、結婚祝いに姉にプレゼントした。

「6.14国際反戦デー」

写真工業04/9月号 読者編
SR-1sの記事が2004年の写真工業9月号に載った。

はじめてのブラック:minolta SR-T101Black
建設中の京王プラザホテル 昭和45年3月、新宿「さくらや」でSRT101Blackを注文しようとしたが、バイト帰りで私の身なりがきたなかった事もあって、店員は無愛想であった。
そこでブロニカ用ニッコールレンズの在庫を確認し、その場で購入すると、急に態度が変わり、注文に応じ、取り寄せてくれる事になった。
しかし、このカメラは1/60秒でストロボがシンクロせず、ミノルタの新宿サービスセンターに持ち込み、中身を交換してもらった。
その後は、MCレバーの不良が一度あっただっけで今も可動している。黒の塗装はニコンなどと比べようもなく厚く、なかなかきれいな真鍮色が出てこない。
ヤスリでボデイの角をこすって地金を出した。

「消失」

初めての6×6
憧れだった:
ZENZA BRONICA S2

昭和44年 辻 久美子:ジャパンファッション nikkor135mmF3.5 写大入学して間もなく、「マミヤC22で良いからかって欲しい」と親にねだったら、姉が気をきかして金を足して、10万円送ってくれた。
早速S2にニッコール135mmF3.5付で買った。新宿御苑でのモデル撮影会などで活躍したが、手持ちで1/60以下だとブレて使い物にならない。
光線もれなども起こし、神田のサービスセンターに何度も通った。
1年後アルバイトしてニッコール75mmF2.8を買い足したが、ワイドは買えず、RCC入社後は社用のニッコール50mmF3.5を借りて使っていたが、「ブレニカ」「ボロニカ」に我慢が出来ず、ハッセルを買う時に下取りに出した。
最近、中古カメラ屋で再会し、店主が空シャッターが切れず困っているのを見かね、20年ぶりにさわって使用法を手ほどきしてしまった。
ニコンF用の400mmF4.5、600mmF5.6、800mmF8、1200mmF11もなく、最大の長所は生かされなかった。

百日紅に戻る