昭和43年春、父が勤め先の共済会で、買ってくれたもの。
レンズは55mmF1.7と100mmF3.5が付いていた。
クリップオンの専用露出計は、MAMIYA35ルビーが壊れた時に買ってもらっていたが、NEW SR-1用だったので、シャッター速度が1/500までしかなく1/1000秒を使用する時には、外さなくてならないが、実用上は問題は無かった。
その夜はとても嬉しくて抱いて寝た。
写大1年の夏、落としてペンタプリズム部分がへこんでしまったが、新宿のサービスセンターでピントの調整だけはしてもらった。
昭和44年秋、新宿のヨドバシカメラで28mmF3.5を買い込んだ。レンズは銅鏡がシルバーに近くなるまで使い込んでいる。
結局ボディーは、結婚祝いに姉にプレゼントした。
「6.14国際反戦デー」
SR-1sの記事が2004年の写真工業9月号に載った。
はじめてのブラック:minolta SR-T101Black
昭和45年3月、新宿「さくらや」でSRT101Blackを注文しようとしたが、バイト帰りで私の身なりがきたなかった事もあって、店員は無愛想であった。
そこでブロニカ用ニッコールレンズの在庫を確認し、その場で購入すると、急に態度が変わり、注文に応じ、取り寄せてくれる事になった。
しかし、このカメラは1/60秒でストロボがシンクロせず、ミノルタの新宿サービスセンターに持ち込み、中身を交換してもらった。
その後は、MCレバーの不良が一度あっただっけで今も可動している。黒の塗装はニコンなどと比べようもなく厚く、なかなかきれいな真鍮色が出てこない。
ヤスリでボデイの角をこすって地金を出した。
「消失」
初めての6×6
憧れだった:ZENZA BRONICA S2

写大入学して間もなく、「マミヤC22で良いからかって欲しい」と親にねだったら、姉が気をきかして金を足して、10万円送ってくれた。
早速S2にニッコール135mmF3.5付で買った。新宿御苑でのモデル撮影会などで活躍したが、手持ちで1/60以下だとブレて使い物にならない。
光線もれなども起こし、神田のサービスセンターに何度も通った。
1年後アルバイトしてニッコール75mmF2.8を買い足したが、ワイドは買えず、RCC入社後は社用のニッコール50mmF3.5を借りて使っていたが、「ブレニカ」「ボロニカ」に我慢が出来ず、ハッセルを買う時に下取りに出した。
最近、中古カメラ屋で再会し、店主が空シャッターが切れず困っているのを見かね、20年ぶりにさわって使用法を手ほどきしてしまった。
ニコンF用の400mmF4.5、600mmF5.6、800mmF8、1200mmF11もなく、最大の長所は生かされなかった。
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