ポラロイドの話
ポラロイド120 ポラロイド120
  加山雄三が24才の時、1961年の東宝映画「大学の若大将」にポラロイドが登場する。
久慈あさみが手に持っているのが、ポラロイド120である。
セイコーのシャッターにヤシカのレンズがついており、日本でライセンス生産されたものだろう。
1965年に180型が発売されるまで使用されたようだ。

報道ポラのスタンダード POLAROID Land camera Model 180
昭和53年のENGビデオ以前、TV局はニュース映像として16mmフィルムを使用していましたが、現像に約30分かかるため、ニュース放送直前30分以下の映像は間に合いませんでした。
それでも、何とかスチール写真だけでも間に合わせようと、ポラロイドを使用しました。当時市販されていたポラロイドカメラはフルオートで、業務用には使いにくいものでした。そこで富岡光機に、限定で完全マニュアルのポラロイド180を国内向けに生産させました。
のちにU局などの要望に答え190、195タイプも追加生産されました

コニカのつくったポラロイド Konica INSTANT PRESS HEXANON 110mmF4
晩年はコニカがセミパールを大型化したようなインスタントプレスを開発。
オプションで接写装置もついていた。

なかにエル ニッコールが入っている NIKON Speed Magny100
昭和39年、東京オリンピックで使用するためNHKNがミカミに発注したのが最初で、後に警察記者クラブなどから、被疑者の顔写真の接写が出来るポラの要望などに応えた。
ニコンFの裏蓋を加工してミラーと引き伸ばしレンズのエル・ニッコール50mmF2.5を付けてポラロイドが撮影できるようにしたのがスピードマグニ。
感度は約5絞り分暗くなったが、ASA3000の白黒フィルムならASA100程度なので、問題はなかった。
しかし、ASA80のカラーの場合はストロボの使用が絶対条件となり、露出の決定には熟練を要した。
マクロレンズ55mmF3.5が標準装備だが、絞ると周辺がケラレるので、ほとんど解放で使った。後にF2、F3やキャノンF-1仕様も追加された。
広島では、被爆証人探しの顔写真撮影にも大いに使用され、被爆者手帳の発行に貢献した。
資料提供:ミカミ 鈴木氏。

4X5 タイプ100 ハッセル用 この他、望遠レンズの要望に答えて、マミヤ光機が、ポラロイド100タイプをカバーする標準127mm、望遠250mmが使えるユニバーサルプレスを開発しました。
これはカメラマンだと何とかつかえたが、記者に重くて使える代物ではなかった。
しかし地上では使いにくかった250mmも、空撮では、返って安定して妙に綺麗にとれてびっくりした事もあった。
その他、スピグラやハッセルのポラパックも少数ながら使用されている。

fuji FP100C これが最後のポラロイド。すでに期限が過ぎている

35mmのポラロイド 昭和59年に発売された、35mmスライド用ポラロイドフィルムの処理装置である。
ポラロイドカメラがなくても普通の35mmカメラがあれば、パトローネ入りのこのフィルムを入れて撮影すればOK。
あとは、このプロセッサー入れて現像すれば、数分で裏面が銀色に輝くポジができあがる。
私は、緊急時用に自宅の冷蔵庫に保存していたが、そのうちVHSや8mmビデオなどが普及し、その機会が訪れることはなかった。
素晴らしい発明だったと思うのだが、もちろん、もうフィルムは売っていない。

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