SNG奮闘記

アナログSNG車 1988年5月20日:私がSNG可搬型のデモ機と初めて出会い、私はこの年に免許を取りましたが実際に運用を始めるのは数年後からです。
1990年11月16日:トヨタランドクルーザーをベースにしたSNG車の運用開始。 運用当初はCCUやVTRなどのAV機器はバラック状態で運用していたようで、1993年にEVINなどからスイッチャーを買い込んでAV機器を設備しています。


1993年8月19日:県北の道後山の秋は早い。山の家では、早くも冬支度のストーブを出すが、これのSNG中継に行った時のことである。
 AC発電機の電圧が100Vを切って96V位まで下がっている。 高地なので気圧が低く、エンジンのアイドリング回転が下がっているので、電圧が上がらないようだ。 このままではSNGの送信パワーが出ない。
 アナログSNG車は、ランドクルーザーベースとなっているが、これの電源はジャッキなどにエンジンパワーを伝える機構を利用して発電機を回す仕組みになっている。  スロー調整のため、6角レンチとスパナを持って車の下のもぐり回転を調整する。しかしこの調整は、うまくやらないとエンジンオイルが顔にかぶることになる。 運転手に電圧計を読んでもらいながら微妙な調整する。
 5分程度の作業だが、無線技術士の仕事というよりも整備士の仕事のようなもので、運転手がやっても良い気もするが・・・
 デジタルSNG車は、走行用とは別に発電機用のエンジンを持っているので、こんな作業の必要ない。

1995年1月6日:県北の大朝で、民家が全焼し2名が焼死した。1報が入ったのが10時過ぎ、昼ニュースに入るかどうかが微妙な時間である。
 県北は雪でヘリも使えない。ENGカメラをもって運転手と2人で現場に直行。 高速には積雪があり、現場に着いたのは11時35分を過ぎていた。 衛星の位置を確認したあと、車の固定を運転手に頼んでENGでまず現場撮影し車に引き返す。
 オンエアまであと10分しかない。
 SNGの電源を入れ、回線が繋がった時にオンエアまで1分を切っていた。 素材送りする時間もないので、TVマスターからのカウントで、直接VTR再生する事に。勿論、編集できないので未編集のまま。
 途中4Wがうまく使えず電話連絡するなど、細かいトラブルはあったが、無事ローカルNに入った。これほど焦った伝送はこれまでにはなかった。

1995年2月2日:県北の庄原で、大雪のため停電した。1報が入った時は15時を過ぎていたと思う。現地に着いた時には、すでにローカルニュースが始まっていた。
 とりあえず、ENGクルーが取材したVTRを素材送りするために道路脇に車を止め、手順通りに作業を進めるが、うまく機器が立ち上がらない。
 急いで立ち上げたので、システムがもつれたらしい。時間が無いのであせっているが、腹をくくってすべての手順を最初からやり直すことにした。 5分ほどかかって立ち上げ直すと、無事回線がつながりニュース内には何とか伝送できた。
 SNGは、ゆっくり立ち上げた場合に問題が起こることはほとんど無いが、なぜか急いでいるときに限ってトラブルが起こる。 たぶんシステムコントロールが縺れるのが原因だと思うが、あとでチェックすると問題は発生しない。電源を入れるときは、毎回祈るような気持ちになる。

1995年7月4日:八千代町で、増水した田んぼの見回りに行った男性が用水に流され行方不明に。
 今度も、雨でヘリは使えない。ENGカメラをもってSNG車で運転手と2人で現場に直行。
 現場に着いたのが11時30分少し前、衛星の位置を確認し、車の固定を運転手に頼んで、ENGで現場撮影し車に引き返す。
 SNGの電源を入れ、回線を繋げようとしたが、衛星のダウンリンクが見えない。 なんとモニターが壊れている。あわてて後部の荷物を全部出し、SNG/RXモニターとPGMモニターを入れ替える。 回線が繋がったのは、やっぱりオンエア直前で、ノー編でVTR再生。
 当時はアナログSNGで、車はランドクリーザー。手作りのバラックに毛は生えた程度の仕様だったので、かえって故障した際の対応も早かった。

1996年4年16日:中国化薬で爆発事故があり、フェリーで現場に。
 ところが、中国化薬というのは爆弾を作っている工場なので、島内の道路から現場を見渡せる場所などない。 しかも南側には山の急斜面が迫っている場所が多く、中継場所が見つからない。 とりあえず昼Nには、SNGをあきらめ対岸にマイクロ送信したが、変動が大きくて使いにくかったらしい。
 現場近くをあきらめ、フェリー乗り場近くからのレポートに徹すれば良かったのだが、これほど撮り難い現場に遭遇したのは初めてだったので、対応できなかった。 午後からは、現場中継をあきらめ素材伝送に徹した。
 しかし、この失敗は1996年11月19日の2度目大爆発事故でリベンジできた。現場の状況をしっかり把握できていたので、ヘリからの現場レポートに大きく役に立った。 工場が「要塞」のような立地になっていることや、 水上消防艇の現場到着など、生レポートの内容に困ることは無かった。
海からアクセスするほうが撮影しやすいため、船を使ってのヘリスター中継の提案もできた。

RCC基地局

1997年10月3日:デジタルSNG車の稼動初日である。岩国からの中継そのものには全く問題はなかったのだが、問題は受信にあった。
 系列ではデジタルSNGの開始時期を10月1日を決めていたが、実際には作業が間に合わない部分が残りそうだったので、担当者会議で確認していたのだが、 案の定、受信機の免許が下りていない。 通常、受信機に免許は必要ないのだが、基地局に送信機も合わせ持っていたり、OW(オーダーワイヤー)の打ち合わせ回線部分には送信機能もあるので、免許が必要なのである。
 仕方ないので、免許がすでに下りているキー局でSNG受信してもらい、自局までマイクロ回線で戻した。 キー局からは「マイクロ回線まで使うのは、SNGの使用原則から外れている」と注意されたが、「だから、何度も開始時期を確認したのに」と言いたかった。
 「デジタルSNG実運用開始ナンバー1」を目指したローカル局の意地を通してしまった。


RCC-21

1998年1月29日:翌朝の朝ワイドの中継のため県中央部の世羅甲山に来ていた。
 晩飯を済ませた頃、「庄原で殺人事件」の1報。伴走車がいないので、SNG車定員一杯の6人乗って現場へ。 日はとっぷり暮れ、道路に雪もあるなか、カーナビを頼りに、現場に急行。
 後ろの席から「寒い」の声。SNG車は、トラックベースなので、走行中は前の席しか暖房がきかない。 あまり寒がるので、中継用のエンジンもかけ、後席天井にあるエアコンのスイッチも入れるが、それでも寒いらしい。 現場には、本社からきたアナログSNGとほぼ同時に到着した。
 デジタルSNG車に定員6人乗ったのは、後にも先にもこの時だけ。普段は、後席に人が乗って走ったことはない。
HD−SNG車は暖房のよく効く車にした。


1998年2月16日:カープキャンプ中継に、宮崎の日南に行ったときの事である。練習が休みの日、イースター島のモアイをまねて造ったサンメッセに出かけた。
 車を固定するため、電動ジャッキを操作しようとしたが出てこない。無理して出してしまうと、今度は収納できなくなり、帰れなくなるため、後輪を板の上に載せ、前側の手動ジャッキを操作して何とか固定し中継を終えた。
 ジャッキを製造したユアサに電話すると、「明日には行きます」という。 ユアサの工場は岡山なので、広島までならすぐ行けると思ったったらしいが、こっちは宮崎だ。事情を説明するとびっくりしていたが、いまさら後には引けない。
 2人で徹夜で車を運転して、翌朝までには到着し、修理し午後には帰っていった。 ご苦労様でした。

RSK-61

2004年10年5日:9月7日に台風18号の中継でキャンセルし、振り替えた受けた人間ドックを終えて会社に立ち寄ると、ある事件の中継に行って欲しいと言われる。
 勤務上は3連休となっているので、人事部の許可を得て出動。
 実は、この年以前の3年間は、SNG担当を外れて編集に専念していたが、担当者が病気で入院したため、急遽現場復帰していた。
 台風18号の高潮でヘリが冠水し、機材の入れ替えなどの仕事もあり、その上休みの度に呼び出されてはたまらない。 「このままでは自分も病気になる」と訴えたら翌年、もう一人担当者が増えた。
 報道にとってヘリとSNGは、24時間待機の重要な飛び道具なのだ。

2005年7月15日:三原で殺人事件。ところが、SNG車の運転手がいない。
 自分で運転しようかとも思ったが、数億円もする車を一人で運転して事故でもあったら取り返しが付かないので、しばらく待ち30分以上遅れてのスタート。 場所が分かりにくいのでカーナビを頼りに行くが、これがわけの分からない道を指示し、途中携帯電話が通じなくなる道まで通るのでイライラしたが、何とか到着。
 高台でSNG送信準備するが、HPA(パワーアンプ)の電源を入れてから5分もたたないうちに送信しようとするので、OW(打ち合わせ回線)が繋がらない。 電話でオペレーションセンターとコンタクトとりながら送信開始。なんとかニュースに間にあった。
 急いでいるときに限って問題が起きるのは何故。


2005年11月19日:前日までの5日間は、東京出張で会議などに出ていたが、この日は朝一番の飛行機で広島空港に帰り、SNG車に迎えに来てもらった。
 翌日行われる実業団駅伝の中継リハーサルで世羅まで行くのだが、問題は途中にあった。 急にお腹が痛くなっってきたが、田舎道なのでトイレが無い。意を決して、車を止めてもらって山の中に・・・・。
 連日遅くまで飲んでいたのが、ここにきてたたってしまった。毎年この時期は、放送機器展があり系列会議も集中する。 このことがあって翌年からは、前日最終新幹線で帰る事にした。
 中継そのものは、駅伝折り返し地点ともう一箇所マイクロで中継しにくいところをSNGでカバーしようというもので、 リハーサルを充分するのでほとんど問題ないのだが、翌朝、中継場所に行ってみると、前日張っていたマイクケーブルが切断されている。 田の脇に張っていたので、農作業時に気が付かず切断されたものだろう。
 かつて選挙中継で、中継車のカメラケーブルが故意に切られたこともあったので、念のため現場の写真を撮ってからケーブルを張りなおした。

2005年11月22日:広島郊外で凶悪事件が起こる。当日、私は休日だったが、翌日からは一日中中継体制をとることになる。 まずは現場で、朝5時から「朝ズバ」中継。みのさんから、現場のカメラマンに色々指示がでるので、−1、4Wが欠かせない。
 通常、ローカルニュースだとワンマンオペレートすることが多いが、ネットだとオーディオが付いていないと対応できない。
 ニュースのネット、ローカル以外に、イブニング5やピンポンなど情報系の中継や素材送りなど次々仕事がある。
 一日の最後はニュース23。事件に新展開がないかぎり中継ならないことが多いのだが、 夕方ローカルニュースが終わって23スタッフと協議が済まないと結論が出ない。
 この日は、夕弁も食べて20時を回ったところで解除になった。 この体制は交代で連日続き、中断はあったものの、犯人が逮捕されると警察所前から、またも交代で中継体制を組む事になった。

広島プリンスホテル

2006年9月1日:広島での自民党の総会で、安倍晋三氏が総裁選に立候補を表明するというので、各局大騒ぎで中継することになった。
 広島プリンスホテルには、テレビせとうちまで含めすべての系列のSNG車が集合。  RCCは、RSK−61も持ってきて、2台での中継となった。同時に2台でのSNG中継は始めてである。1台は演説そのものを、もう1台は顔出しレポート用。 念のため、予備に地上μ回線も張った。
 そうまで大騒ぎして誕生した安倍元首相なのに・・・


SNG車は、全国どこからも中継できるため、地震などの災害時や事件などで県外にも応援に行く。
1995/01/17阪神大震災
2000/10/06鳥取県西部地震
2005/03/20福岡西方沖地震
2005/07/28浜田での事件
2006/09/07徳山での事件
 ところが、私は一度も県外応援に行ったことがない。というのもこれらはすべてヘリで行っていた。
 阪神大震災に応援に行ったSNG車は、明石あたりで弁当を買おうとしたらしいが、すでに買えなかったらしい。 翌朝、大阪支社から弁当を運んだが、到着したのは午後2時だった。
 福岡西方沖地震では、地震以外の取材に手が回らないRKBのために別件の取材に回った。

2007年5月17日;廿日市から「イブニング5」用に素材伝送を行おうと道路脇に停車。 オンエアまであと10分くらしかないが、いつものことなのでそんなにあせっていなかった。
 ところが、スペアナ(スペクトロアナライザー)の電源が入らない。何度かオン・オフしたが反応が無い。故障原因を探している時間は無い。
 スペアナは、衛星を受信する際のダウンリンクの電波の強さを確認するため必須のアイテムだが、これがないと手探りで電波を捕まえなくてはいけない。 2万キロ上空の衛星を手探りで探すのだ。
 アンテナは、ジャイロで大体の位置は向くので、あとはカンを頼りに若干左右に振ってみる。 受信モニターに映像が受かったので、電話でオペセン(オペレートセンター)に交差偏波確認用のXPD波をチェックしてもらうが、弱くて確認できない。 再度調整して2度目でOK、5時を少し回ったが、トップ項目には何とか間に合った。ネットニュースなので、オペセンも丁寧に対応してくれたので助かった。
 落ち着いてスペアナをチェックしてみると、主電源が落ちていただけで故障ではなかった。 あせっていたので何度もオン・オフしたが、間隔が短かったので立ち上がる前にオフしたらしい。 CRT(ブラウン管)なので、立ち上がりに時間がかかるのだ。一度もオフしたことが無い機械なので、立ち上がりが悪いことが分からなかった。
 こんなにあせったことは無かった。

2007年5月17日:東広島警察にSNG中継にいったが駐車場所が無く、四方が囲まれ高さに制限がある場所しか確保できなかった。
 何とか入れて、アンテナを立ち上げた時、異音がした。照明用配管にアンテナがわずか当たっている。 SNG車のパラボラアンテナは、車幅よりはみ出す形で立ち上がることを忘れていた。
 悪いことに、この日の運転手は臨時で車のことを良く知らず、横幅にゆとりを持っていなかった。 フロントジャッキを上げ下げしていると、運よく衛星捕捉できてしまったので、そのまま中継を終えたが、このままでは車が動かせない。
 悪いことは重なるもので、普段は広島にいるSNGメーカーのサービスマンも山陰に行っている。 車全体をジャッキアップしてアンテナが自由に動く状態にすれば良いのだが、車載ジャッキ用の昇降用延長棒も載せ忘れている。 延長棒の替わりにマイクスタンドで代用しジャッキアップ。アンテナ駆動モーターも安全装置が作動し動かなくなっているので、ブレーカーを何度かリセット、 上げたり下げたり悪戦苦闘すること約2時間。やっとアンテナが収納できた。

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