映画「スパイゾルゲ」とカメラ
篠田監督最後の作品であるといった事とは別に、ゾルゲの使ったカメラと無線機に興味があったので、見に行った。
映画全体としては、HDカムでの撮影とCG処理は良く出来ていたが、3時間は少し長かった。
ゾルゲは、ロシアとドイツの二重スパイなのにどういうわけか英語でしゃべっている。
さてカメラの話だが、ゾルゲの使っていたライカⅢaは、時代はあっているが、沈胴のエルマーを引き出さないで使っているシーンは、いかがなものか。
しかし、ゾルゲがⅢaを使ったかどうかは確証がない。したがって1939年製造のⅢc型までは可能性がある。
新聞社やアメリカ軍がスピグラを使っていたが、フィルム交換しないで連続撮影していたのはいかがなものか。
それにあのスピグラは1947年以降の型だと思うのだか・・・・
無線機は、マックスクラウゼンがラジオを改造して作ったとされており、屋根裏にアンテナを張ったとされているが、映画で使っていたアンテナはお粗末であった。
受信は100字/分以上の流暢な英文?だったが、送信はなぜか短点ばかり。
気になったのは、昭和16年の銀座の楽器店のショールームに、昭和40年台にならないと作られなかったYAMAHAのフォークギターが飾ってあったのと、ゾルゲの部屋にはなぜか、1970年代半ば頃からしか製造されていないテイリのコーヒーサイフォンがあった。
1970年、石原プロが、「ある兵士の賭け」という朝鮮戦争の戦場シーンも振り返る映画をつくった。
朝鮮戦争で戦った米兵と、彼が住民を虐殺したのではないかと疑うカメラマンとの話だが、そのカメラマンが使っていたのがペンタックスSPであった。
ところが1966年製であるこのカメラが1950年の戦場シーンでも使われた。
ペンタックスは1952年からしかカメラを造っていなかった。旭光学から機材提供を受けていた関係で、そのことはしかたなかったのかもしれないが。
しかもその戦場では、1965年式のトヨペットクラウンが燃えていたのには驚いた。結局石原プロは、この映画で大赤字をかかえこむ事になった。
前作の「栄光への5000キロ」が素晴らしかっただけに残念であった。